先週は所用があり乗れなかった相棒に乗って2週間ぶりのツーリングです!
まるで遠足前の子供のように心ウキウキで5時前に目覚めてしまい仕度をしていました。
今日は母の故郷である愛知県豊田市足助町〜武節町辺りまでの150km程のツーリングでした。
足助町では足助城、武節町は道の駅と武節城址が目的です。
場所
愛知県豊田市足助町
simの子供頃は西加茂郡足助町でしたが2005年だったと思いますが近隣の町や村と一緒に豊田市に編入されたと記憶してます。豊田市はアノ『世界のTOYOTA』の街。
足助城 (真弓山城)
真弓山城は足助氏の築いた足助七屋敷の1つと推測されていた。後述の発掘調査で足助氏の時代の遺構が検出されなかったことなどから、現在では戦国時代にこの地を治めた足助鈴木家の本城であったと考えられている。
平成元年に愛知県の『愛知のふるさとづくり事業』と国の『ふるさと創生基金』を合わせて城の復元を行なうことが計画された。大勢の観光客て賑わう香嵐渓(飯盛山城)は県の史跡指定であり、時代が古いために櫓など小規模な復元にとどまることなどから、戦国時代の城である真弓山城の復元が決定され、2年にかけて発掘調査と復元が行なわれた。建物跡が検出されなく、絵図等も残されていないので、石積みの白亜の天守閣ではなく木造の天守である。城跡公園全体が発掘調査に基づく非常に珍しい本格的な山城が復元されている。
※飯盛山城跡である香嵐渓については私の過去記事をお読み下さい。
散策
朝7:00の夜明けと共に出発し、のんびりと自然の豊かなワインディングロードをツーリングし足助城に到着。山城だけあり、かなりの急な狭い山道を『対向車が来ませんように...』と祈りながら登り切った先に足助城の入口が見えて来ました。
開園前の一番乗りでした。ここはかなりのスペースの二輪置き場がありバイク乗りには嬉しい限りです。
チケット売り場前に足助城についてのパネルがあり、読みながらしばしの休憩です。
入口を入り散策開始です。まず目に入ったのは大きな石碑です。石碑には『月日』と書かれている... (古い物なので右から読みます)
コレ、日月もなかのマークやん!Σ( ̄□ ̄;)
simの母親の在所はココ足助町なのでお馴染みのお土産です。足助と言ったら『川村屋の日月もなか!!』来られた方はお土産にどうぞ。
少し進むと視界が広がり、かなり高い所に南の丸と物見台が見えて来ました。色々な城を見てきましたが思わず『スゲェー』と声を挙げてしまった程の感動です!
今まで山城を色々と見て来ましたが、薄暗く高い木のお生い茂った路を登ると頂上に天守がポツンっていうイメージでした...。確かにパンフレットには全国初の本格的な山城の整備と書かれていましたが...。感動です!!
山という自然を利用した見事な要塞とも言うべき迫力に圧倒されながら進みます。
井戸や西の丸腰曲輪を見て西の丸へと登って行きます。
西の丸にも立派な物見台がありました。
そして急な斜面の上に本丸が見えて来ました。
順路に沿い進んで行き『はね上げ式の戸』を潜ると南の丸です。台所の役割を持つ曲輪でカマド等もあり、建物内には当時の生活が再現されています。
囲炉裏の前の藁の座布団に座って撮ってみました。
当時はこんな視点で食事をしていたのですね。
朝日で逆光でしか撮れなかったのが残念ですが、先程入口近くで感動した南の丸の物見台です。登ってみたかったですね (>o<")
そして、いよいよ本丸です!
派手な装飾もなく無骨なイメージが気に入りました。
建物の絵図等が残っていないためイメージですが...と係の人が言っていましたが、ここまでの道のりで見て来た自然の要塞さと数々の戦のあったこの地のこの城にピッタリだと思いました。
中にも入れました。
二階です。
二階からの眺めも美しいです。
自然が豊かで美しく山間に今の街や建物こそ現代の物ではありますが、当時の景色と余り変わらないのだろうと思いました。
本当に素晴らしい城でした。
最後に
城と言えば絢爛豪華なイメージであり、資料の無いまま復元された山城であっても今まで見た城と言えば変わらなかったイメージでしたが、今までの山城のイメージを覆し尚かつ、これが本当の山城という説得力のある城であると思いました。
自然が豊かなこの地に建つ山城であり、当時の様子がイメージしやすいのもあります。
まさに『自然の要塞』『戦う城』でした。
亡き母の故郷と言うのもありますが、またきっと来ます。この自然に囲まれた城で春夏秋冬の色々な姿を見たいと思います。
もちろん御城印もゲットしましたよ!
日付を入れてもらっている時に係の人もsimもビックリ‼
令和二年二月二日
良い思い出になりました(。•̀ᴗ-)✧b
続きは次回の記事で...
また会いましょう(◍•ᴗ•◍)ノシ