4月4日(土)快晴 午前7時前
二週間前の三重攻略の際、時間切れで行けなかった『鳥羽城址』
不在で御城印が貰えなかったので攻城を断念した『大河内城址』
の2城に加え帰路途中で寄ろうと思っている『亀山城址』に向けて出発です!
作戦
早朝の空いている時間にガンガン走り、一番遠い『鳥羽城』から北上(帰路)しながらに他の2城に寄る。
ナビで見ると
こんな感じです。
走行距離約300km、時間にして8時間程のコースです!
鳥羽城址
鳥羽城
戦国最強の水軍である九鬼水軍の大将で有名な九鬼嘉隆 築いた水軍運用を重視し大手門を海側に向け、周囲を海で囲んだ珍しい城でした。九鬼家の後、城主が度々入れ替わったが、安政の大地震により天守以下倒壊し、修理される事の無いまま、明治時代に度会県が置県さ破却された。
御城印
早朝から走る事3時間強。鳥羽城址に着く前に城址手前にある鳥羽市歴史文化ガイドセンターに立ち寄り御城印を入手しました。実に気さくな職員さんと少々立ち話し、城址までの簡単な案内と駐車場を教えて頂きました。
駐車場
鳥羽城三ノ丸広場前の路肩に駐車です。既に数台の車が停まっていましたが、道幅自体は広くてバイクなら全然OK。毎回こんな感じで簡単にバイクでも停められると助かりますけどね。
他にも直接本丸跡辺りまで登れる駐車場があるそうでしたが、城好きのsimは下から見学しながら上がりたいと歴史文化ガイドセンターの職員さんに伝えたのでここです。他にもバイクの停められそうな駐輪場が先のガイドセンター前の駅前ロータリーにありました。大型バイクも停まっていましたし、歩いて5分程の場所なのでバイクならコチラもオススメです。
攻城
三ノ丸広場からの入城です。
先ず目を惹くのは圧倒的な迫力のある多段の石垣でした。入り口には九鬼の家紋『左三つ巴紋』九鬼嘉隆の子である守隆の代から使用していた九鬼家家紋。石垣と大きな旗の家紋、インパクト抜群の入り口です。
恐らく、目の前を通る電車の車窓からでも、その向こう側の車道や観光スポットからでもこの迫力は伝わるでしょうね。
入り口にはパネルがあり、鳥羽城の歴史や九鬼嘉隆の事が学べます。中央にはパンフレットが入っていましたので一部頂きました。
歩道となる階段は整備されており登りやすくなっていました。左側を見ると多段の石垣が目の前に...。そして右側を見ると美しい鳥羽湾の眺めが望めます。
階段を登って行くと春の訪れを知らせる桜が満開で綺麗でした。元の三ノ丸に公園を作り市民の憩いの場となっていました。
本丸へと向かう途中、先の多段の石垣の上に...。かなりの高低差があり、高い所の苦手なsimは足元がガクガクです... (^o^;)
通り抜けると今までの石積みと明らかに違う本丸の野面積みの石垣があります。自然の石を加工せずに組み上げた野面積みは無骨さがあり、simは好きです。
本丸跡に出ました。南側にある旧小学校の運動場として使用されてたと言うことで遺構などは残っていませんが所々に看板が立ち、当時の場所を示していました。
そして、ここからは鳥羽湾が一望できます。この日の青空と相まってとても美しい景色でした。
まとめ
三重県でも人気の観光スポットである『鳥羽』。城跡公園としてとても綺麗に整備された城址でした。本丸も旧小学校の運動場として使用され、入り口の多段の石垣も目の前を走る電車や国道から見えるように整備したり作られているのでしょう。唯一、本丸の野面積みの石垣以外は当時の物は残っていないのでしょう。純粋に『城を見るという』観点で見ると寂しい気もしますが、城跡公園として子供が遊び回り、家族や老夫婦がベンチで座り景色をゆったりと楽しんでいる姿を見ると現代ではコレもアリなのかな... と思います。
何よりも戦国武将達も立身出世し、天下統一して世に平和をもたらしたいと思っていたハズですから...。
そしてコレが平和な時代の人々の答えなのですから...。
2軒目の大河内城址に向けて出発です!