スゴイ久しぶりの更新です。
サボっていたワケではなく、仕事が忙しかっただけです。
5/2から連休に入り3日経ちました。
5/2は普段の疲れを癒やすため貪るように眠り、5/3久しぶりに早朝より愛車に乗り、これまた久しぶりに城巡りです。
このタイトルイラストを使うのは実に半年ぶりです。
私の城巡り
歴史好きのはじまり
久しぶりなので少々お浚いです。
元々子供の頃から戦国時代好きです。始まりは小学校の図書室に漫画の日本の偉人の本が入った事が始まりです。それまで活字で見向きもしませんでしたが学校に漫画が入ったと言う事で読んでみたのがキッカケです。同じような人も多かったので借りるのは激戦。やっと借りれた最初の一冊『織田信長』が始まりです。その後『豊臣秀吉』『徳川家康』などを読み、ファミコンソフト『信長の野望』をやり始めた頃からドップリ浸かりました。3人共私の住む愛知県スタートなんですよね。
私の城巡りのキッカケと目的
リターンライダーである私は再びバイクに乗り始めた時『バイクでどこに行く?』という問題が毎週ありました。そんな時に城の御朱印である『御城印』というものが出だしたという情報が入り、城を巡って集めようと思い立ちました。
御朱印とは神社や寺院において、参拝者に向けて押印される印章・印影の事で参拝した日付、寺社名・御祭神・御本尊の名前などを墨書きして頂く参拝の証みたいな物です。
御城印も同じように登城した時に購入出来る御朱印的なものです。半紙に城名やゆかりある城主の家紋や花押などの印を押したもので増え始めたのはココ数年ですね。
私の収集しだした2年前は70城程でしたが、今では季節や記念の限定バージョンを含めると700を超えています。
ですから、目的地は『御城印』を発行している城を巡るです。
掛川城
永禄三年、織田信長により桶狭間の戦で今川義元が討たれると、義元の子氏真は永禄十一年に甲斐の武田氏に駿河を追われて掛川城に立てこもりました。その後、長期に渡る徳川家康との攻防の末に和睦により開城しました。家康領有後は重臣である石川家成が入城し、武田氏侵攻に対する防御の拠点となりました。
天正十八年、天下統一した豊臣秀吉は、徳川家康を関東へ移すと、家康の旧領地に秀吉配下の大名 山内一豊が入りました。一豊は城の拡張や城下の整備を行うとともに、掛川城に初めて天守閣を作りました。
嘉永七年の安政の大地震により天守閣など大半が損壊しましたが、再建されることなく明治維新を迎えて廃城となりました。
現在の天守閣は平成六年に140年ぶりに木造で再建され、ふたたび美しい姿を現しました。
出発〜到着
今回の目的地は静岡県にある掛川城です。
約120km先で一般道で2時間半という事で朝7時に出発です。
掛川到着は9時ちょっと過ぎです。
下調べしていた掛川市営の大手門駐車場に到着です。
街中の駐車場はコインパーキングが増えバイクだと使えないので下調べは必須です。
ココはバイク一回¥150
駐車場を出ると目の前に掛川城大手門が見えます。
掛川城攻城
城好きは城に入る、見学する事を『攻城』と言います。
雲一つ無い青空で攻城するには絶好の日和です。
大手門を潜り目指すは天守。
四足門を越え料金を払うといよいよ天守攻略です。
天守目前のこの辺りが1番ワクワクする時ですね。
内部は木造で資料館になっています。
最上階からは掛川市が一望出来ます。
高い所は苦手ですが...
城を攻め取った証です。
天守を出て二の丸御殿へ向かいます。
大きな建物です。御殿から見る天守も綺麗でした。
目指す御城印は御殿受付けで購入出来ます。
御殿内部は広く貴重な資料も沢山ありました。
掛川駅
掛川城を出て一直線に南に10分程歩くと『掛川観光協会ビジターセンター』があります。
ここにも掛川城の御城印が販売されていますが、ここに来たのは近くの城である高天神城と横須賀城の御城印が販売しているからです。
この後行く予定なので買っておきます。
さて時間は11時...
まだまだ行けます。
東へ移動してまた掛川に帰って来ましょう。
諏訪原城
諏訪原城は駿遠の国境にあり東海道における戦略上の要地として武田・徳川の双方が国取りの拠点とした城です。
はじめ武田信玄が砦を築き、天正元年に遠江侵攻の拠点として馬場信房に命じ、牧之原台地に築いた山城です。
武田家の守護神諏訪大明神を祀ったことからこの名が付いたと言われています。
天正三年に徳川家康によって攻め落とされ、牧野城と改名され武田軍に対する備えとなりましたが、武田氏が滅亡して必要性がなくなり、天正十八年頃廃城となったと言われています。
〜到着
掛川城から20分 15km程北東に進むと『諏訪原城ビジターセンター』に到着です。
御城印はセンター内のガチャガチャの景品...
いくら使うんだろうと覚悟しましたが全部当たりです。
クリアファイル等、色々ありましたが好きなの1つと交換という事でホッとしました。
センター内には諏訪原城に関する資料です。
諏訪原城攻城
綺麗な茶畑です。さすが静岡〜って感じでしたね。
広い土地に空堀や馬出しがハッキリしている美しい城址でした。順路も分かりやすく案内されていて素晴らしい所です。ここの美しさは私が今まで巡った城址の中でも1番と言っても良いくらいな場所でした。
さて時間は12時過ぎ...
さらに東へ行ってみましょう( *´艸)
目指すは牧之原市と吉田町
小山城
永禄十一年、武田信玄はこの地に砦を築いて遠江をおさえる拠点とした。その後の元亀ニ年に城郭を備えたのを機に、『小山城』と名付けられました。この地をめぐり武田と徳川の間で激しい攻防が何度も繰りかえされましたが、武田方は敗北を悟り城に火をかけ、本拠地である甲州へと落ちていきました。
現在は能満寺山公園として丸馬出し、三日月堀が史料を元に復元され、かつて物見台があったとされる三の丸跡に展望台として模擬天守が建てられています。
〜到着
諏訪原城址から10分 7kmほど東へ進み勝間田城址
20分 10kmで小山城に到着。
もう時間もギリギリ...
どうしても掛川に戻り難攻不落の城である高天神城を見て日没までには帰りたいという事で勝間田城址の写真撮り忘れました。
小山城も足早で攻城です。
小山城攻城
整備されている綺麗な公園でした。展望台として建てられている天守が私の住む愛知県の国宝犬山城に似ているような感じです。
内部は資料館です。
今日1日で武田と徳川の攻防の歴史をかなり詳しく勉強した感じです。
御城印は天守受付けです。
余談ですが...
受付けのお姉さんがメッチャ綺麗でした〜
男ってヤツは...(>o<")
高天神城
徳川・武田の両雄が攻防戦を繰り広げた決戦場で、東海一の堅塁を誇った山城です。「高天神を制するものは遠州を制す」とも称された高天神城は、標高132メートルの鶴翁山の地形を巧みに活かした『難攻不落の名城』として有名ですが、最後は家康の兵糧攻めに遭い落城しました。
〜到着
小山城から掛川に戻る事40分 30kmの所です。
駐車場は後で後悔しましたが一番下のトイレのある駐車場。バイクを駐めて歩いて行くとまだまだ先に駐車場がありました。
高天神城攻城
時間的に最後ですが本日5城目で足はパンパンです。
ココに来ての難攻不落の高天神城大丈夫だろうか...と思いながら進んで行きます。
まずは山城お決まりの階段...
上に登るにつれて角度も急になっていきます。
私の攻城した側は北口の搦手門側からでした。
三日月井戸から先は見所抜群です。曲輪や本丸跡、堀切りや横堀など山全体の面積も広く『要塞』と言った感じが今でも残っています。
そして最後に高天神城の頂上に位置する西の丸跡である高天神神社で帰りの無事をお祈りしての下山です。
さすがに5城攻略したので下りでも足はパンパンを超えて攣りそうでした。一番下離れた駐車場が遠かったです...。
帰宅
下山してバイクに跨がると16:30。ギリギリ日没に間に合いそうです。
昼ごはんも食べずに攻城したので腹ペコでした。
耐えきれず途中のコンビニで休憩したのが悪かったのか愛知に入り大渋滞に巻き込まれ到着したのが20:00頃。
私はバイクで車の横をすり抜けませんから...。
アメリカンで横幅が人より多いのもありますが、何かイヤなんですよね...。
高速を使わないっていうものと同じく、私のツーリングの決め事なのです。
久しぶりのツーリングでした。
走行距離330km満喫しました。
やはり静岡県の東海道『東海道一の弓取り』と言われた徳川家康と甲斐の武田信玄にの関連した城が多かったです。
GWの連休前は後半ずっと雨予報でしたが、どうやら晴れそうです。
さて、もう少し走ってみますかな(。•̀ᴗ-)✧b